武久礼神社のこと  (野中才)
 野中才の神社の境内に武久礼神社が合祀されています。この武久礼さまについてすこしお話してみたいと患います。「北越奇談」という江戸時代の本によりますと、武久礼神社の古鏡と題して「五千石に武久礼神社というのがあったが荒れ果てて今はない、そして、その御神体は八ツ花の古鏡で、いつ納めたものであろうか、近来この御神体を野中寺という寺にうつした」とありますし、一方野中才の村の明細張をみますと「武呉さまは、弥彦大明神のみこ(御子)、天五田根命と申上げ、後に天急雲命と改名された神様であり、古書にも野中才のものだと書いてあるのに、五千石村開墾のときに囲いとられてしまった」と書いてあります。
 ともかく今は野中才にありますが、以前この御神体が何者かにぬすまれてしまったことがあります。
 そのとき専念寺の藤田了存師が夢知らせをうけて、御神体は巻の小道具屋にあるというので、小川原平ェ門が巻に行ったら、なるほど夢の通りに古道具屋にあり、一分で買取ってきたと言うことです。四月五日(もとは四月四日)が祭りで、祭りの日には「おはぎ」を上げ申して専念寺様が、阿弥陀経一巻を読んで下さる事になっているそうです。ために疫病(特に痘瘡)は流行らず、村人は武久礼さまの御利益とばかりに喜んでおりました。尚古鏡は横崎山から掘り出したものと伝えられていますが残念ながら今はありません、惜しむべき事ですね。